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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)9961号 判決

原告

溝上よね子

ほか二名

被告

廣田祝久

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告溝上よね子に対し金二九五〇万円及び内金二八〇〇万円に対する昭和六三年一一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告溝上和美及び原告溝上猛に対し各金一三九五万円及び内金一三二〇万円に対する昭和六三年一一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二事案の概要

本件は、足踏自転車に乗つて信号機による交通整理が行われている交差点を横断中に、普通貨物自動車(加害車)に衝突されて死亡した被害者の遺族が、加害車の運転手に対して自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下、「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六三年九月二六日午前五時二五分ころ

(二) 場所 大阪市生野区中川二丁目八番二二号先大阪環状線路上(交差点、以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通貨物自動車(なにわ四〇に五五三号)

右運転者 被告

(四) 被害車 足踏自転車

右運転車 訴外溝上聖二(以下、「聖二」という。)

(五) 態様 本件事故現場の交差点を東から西へ進行していた被害車に、同交差点を南から北へ進行中の加害車が衝突した。

(六) 結果 聖二は、本件事故により多臓器損傷等の傷害を受け、同月二月七日午前一時九分、大阪赤十字病院において死亡した。

2  被告の責任

被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

3  聖二の年齢及び職業

聖二は、本件事故当時、五七歳(昭和六年六月一四日生まれ)であり、近栄精工株式会社に勤務していた。

4  損害

本件事故により聖二の治療費の支払による損害一九八万三六六〇円が発生した。

5  権利の承継

原告溝上よね子(以下、「原告よね子」という。)は、聖二の妻であり、原告溝上和美(以下、「原告和美」という。)及び原告溝上猛(以下、「原告猛」という。)は、聖二の子であるところ、原告らは本件事故による聖二の死亡により、同人の被告に対する損害賠償請求権を法定相続分に従つて原告よね子が二分の一、原告和美及び原告猛が各四分の一の割合で相続した。

6  損害の填補

原告らは、本件事故による損害の填補として、自動車損害賠償責任保険及び被告から合計額二五三〇万〇八〇七円を受領し、原告よね子がその二分の一を、原告和美及び原告猛がその各四分の一ずつを原告らが聖二から承継した損害賠償請求及び原告らの被告に対する固有の損害賠償請求権にそれぞれ充当した。

二  争点

1  損害額

原告らは、聖二が本件事故によつて死亡したことにより、聖二の損害として前記争いのない損害のほかに五四一四万円(一万円未満は切捨て、内訳、逸失利益二四一四万円、慰謝料三〇〇〇万円)、原告よね子の固有の損害として一三一〇万円(内訳、聖二の葬儀費用一六〇万円、慰謝料一〇〇〇万円、弁護士費用一五〇万円)、原告和美及び原告猛の固有の損害として各五七五万円(内訳、慰謝料五〇〇万円、弁護士費用七五万円)の損害を被つたと主張し、被告はこれを争つている。

2  過失相殺

被告は、本件事故発生については、聖二にも、対面赤信号を無視して本件事故現場の道路を横断した過失及び進行中の加害車の直前で横断した過失があるから、相当程度の過失相殺がなされるべきである旨主張するところ、原告らは、本件事故は、被告が呼気一リツトル当たり〇・三ミリグラムのアルコールを保有する酒気帯び状態で事故車を運転し、本件事故現場の交差点の対面赤信号を無視して同交差点内に進入した過失等によつて発生したものであると主張して、被告の主張を争つている。

第三争点に対する判断

一  損害額

1  聖二の損害

(一) 治療費 一九八万三六六〇円

当事者間に争いがない。

(二) 逸失利益 一六九二万四七八八円

前記争いのない事実に、証拠(甲八、九、一〇及び一二ないし一六、乙三七)及び弁論の全趣旨を総合すれば、聖二は、自営で金型加工業を営んでいたが、昭和五五年一一月一日に近栄精工に入社し金型熟練工として勤務していたところ、腰を痛めて同五九年四月一日に同社を退職したものであり、その後、腰の調子もよくなり、近栄精工も人手不足であつたことから、同六〇年二月一日に同社に再就職したこと、右退職の前年度の同五八年の一年間に近栄精工から三二三万〇九九〇円の給料を得ていたが、再就職後は同六〇年に三一八万〇九七三円、同六一年に三〇九万六三三八円、本件事故の前年である同六二年に三〇四万三二四四円の給料を得ていたこと、本件事故当時、原告よね子及び原告和美と同居し、右収入により生計を維持していたことの各事実を認めることができる。

右事実によれば、聖二は、本件事故に遭わなければ、就労可能な六七歳まで一〇年間稼働し、その間少なくとも毎年三〇四万三二四四円程度の収入を得ることができるはずであつたと推認することができ、また、その間の同人の生活費は右収入の三〇パーセントとみるのが相当である。そこで、右収入額を基礎に、右生活費相当額及びホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、同人の逸失利益の現価を計算すると、後記算式のとおり、一六九二万四七八八円(円未満切捨て)となる。

なお、原告らは、聖二は近栄精工に乞われて再就職したものであり、若干の期間低賃金で勤務したのち、大幅に昇給することが約束されており、右昇給後は少なくとも四〇一万五二〇〇円の年収を得ることができるはずであつたと主張し、甲一〇及び原告猛本人尋問の結果中にはこれに副う記載及び供述部分があるが、大幅昇給の時期や昇給額が不明で具体性がないうえ、再就職後から本件事故当時まで既に三年八か月近くが経過していたにもかかわらず原告らの主張するような昇給はなされておらず、かえつて前認定のように、むしろ再就職後の年収額は年々減少傾向にあることなどの事情に鑑みると、右記載及び供述部分はにわかには信用できず、原告らの右主張を採用することはできない。

(算式)

3,043,244円×0.7×7.9449=16,924,788円

(三) 慰謝料 一二〇〇万円

後記認定のような本件事故の態様、事故後聖二を救護することなく逃走した被告の行動、その他本件証拠上認められる諸般の事情及び別途原告らの固有の慰謝料が請求されていることを考慮すると、聖二の死亡に対する慰謝料としては、一二〇〇万円が相当であると認める。

2  権利の承継

前記のとおり、原告よね子、原告和美及び原告猛は、聖二の死亡により、同人の被告に対する損害賠償請求権を法定相続分に従い原告よね子が二分の一、原告和美及び原告猛が各四分の一ずつの割合で相続したことは、当事者間に争いがないから、右承継した原告らの被告に対する損害賠償請求権は原告よね子が一五四五万四二二四円、原告和美及び原告猛が各七七二万七一一二円となる。

3  原告よね子の固有の損害(葬儀費用) 一〇〇万円

証拠(甲七の一ないし一三)及び弁論の全趣旨によれば、原告よね子は聖二の葬儀を執り行つて相応の費用を負担したことを認めることができるので、右支出額中の一〇〇万円を本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。

4  原告らの固有の慰謝料

前認定の原告らと聖二の身分関係によれば、聖二の死亡により同人らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告よね子について四〇〇万円、原告和美及び原告猛について各二〇〇万円が相当であると認める。

二  過失相殺

1  前記争いのない事実に、証拠(甲三、四の一ないし三、一七ないし一九、二〇の一、二、二一、二二、二五、検甲一の一ないし四、乙一、六ないし六〇、原告猛本人、被告本人)を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面記載のとおりであつて、南北を走る大阪環状線(以下、「南北道路」という。)と東西道路(但し、本件事故現場の東側は東行の一方通行、西側は西行の一方通行になつている。)が交差する信号機による交通整理の行われている交差点(中川二丁目南交差点、以下、「本件交差点」ともいう。)内である。

右南北道路は市街地を走るアスフアルト舗装の片側三車線(以下、歩道寄りの車線を第一車線、中央分離帯寄りの車線を第三車線、その間の車線を第二車線という。)の速度規制のない幹線道路であつて、その中央分離帯(路面からの高さ一四センチメートル)上には、高さ〇・八七メートルの金網フエンスが設けられている。

なお、本件事故当日の日の出の時刻は午前五時四九分で、本件事故当時は、まだ前照灯を点灯しなければ車両の走行に支障を生ずる程度の暗さであつたが、本件交差点の北東角及び北西角に水銀灯が設置されているので、本件事故現場付近はやや明るい状態であつた。

(二) 被告は、昭和六三年九月二五日の午後五時ころから同月二六日午前一時ころまで、父親の営む寿司店で働いたのち(なお、被告は、店の後片づけをしながら、ビールをコツプに一杯程飲んでいる。)、本多加代子(現在は被告と結婚して廣田性、以下、「加代子」という。)と東成区今里のレストランで会うため、加害車を運転して右レストランに赴き、午前一時三〇分ころから一時間位、同女とコーヒーを飲みながら話をしたのち、串焼肉店で食事をしながら午前四時ころまでの間にビール中瓶二本位を飲み、さらに、加害車を運転して加代子と自宅に帰り、午前五時ころまで自宅で日本酒一合を飲んだ。

(三) その後、被告は、加代子を同人の家まで送るために助手席に加代子を同乗させた加害車を運転して自宅を出たが、その前に再度二人で食事をすることにして、食事のできる店を探しながら前照灯とフオグランプを点灯させ、前照灯は下向きの状態にした加害車を走行させていた。

このようにして、被告は、本件交差点四つ手前(約七七四・一メートル手前)の大池橋交差点を右折して南北道路に入り、本件交差点三つ手前(約五〇三・九メートル手前)の中川六丁目交差点で赤信号による信号待ちをしたのち、北行第二車線を時速約六〇キロメートルで走行し、本件交差点二つ手前(約三四八・一メートル手前)の中川四丁目南交差点及び本件交差点手前(約二四〇・一メートル手前)の中川四丁目交差点を青信号で通過して本件交差点に差し掛かり、本件事故地点の手前約四九メートルの地点(別紙図面〈1〉の地点)で本件交差点の対面車両用信号が青色であることを確認したので、そのままの速度で本件交差点を通過しようとしたのであるが、さらに約一二メートル進行した地点(別紙図面〈2〉の地点)で一つ先の中川二丁目交差点の信号機も青色であることを認めたのと、当時早朝で交通量が少なく気を許していたこともあつて、前方注視を怠り、助手席の加代子の方に向いて雑談をしながら本件交差点内に進入したところ、本件交差点南詰の横断歩道を通り過ぎようとした辺り(別紙図面〈3〉の地点付近)で、右斜め前方約九・二メートルの本件交差点北詰横断歩道上の別紙図面〈ア〉の地点付近を被害車に乗つて東から西に進行中の聖二を認め、衝突の危険を感じてあわてて急ブレーキを踏んだが間に合わず、別紙図面〈4〉の地点で、右〈ア〉の地点から約一・八メートル西側の別紙図面〈イ〉の地点まで進行してきた被害車の左側面に加害車の右側前部を衝突させて、聖二を被害車もろとも跳ね飛した。その結果、聖二は衝突地点から約二三・九メートル北側の北行第三車線上(別紙図面〈ウ〉の地点)まで跳ね飛ばされて転倒し、被害車は衝突地点から約三四・七メートル北側の北行第二車線上(別紙図面〈エ〉の地点)まで跳ね飛ばされて転倒していた。他方、加害車は、被告があわてて衝突時に右にハンドルを切つたことから、中央分離帯のコンクリート部分にその右側角付近を衝突させたのち、右聖二の転倒地点のやや手前でほぼ停止状態まで速度を低下させたものの、結局停止はしないで、聖二を救護することなく、人が歩くのよりやや速い速度の徐行状態で北進を続け、本件交差点の北詰横断歩道の北端から約七四・二メートル北側の南行車線の道路脇にある居酒屋「大和」の前付近までそのままの速度で北行車線を北進し、その後は急速に速度をあげて逃走を始め、本件交差点の一つ先(約一四一・八メートル先)の信号が赤色であるのを無視して同交差点を通過して逃走したが、途中で引き返す気になり、同乗していた加代子を降ろして同日午前五時四三分ころ本件事故現場に戻つた。

なお、被告は、事故後間もなくの同日午前六時ころ実施されたアルコール量の検査で、呼気一リツトル中に約〇・三ミリグラムのアルコールを保有していると判定された。また、本件事故現場の路面には加害車の車輪によるスリツプ痕が、別紙図面のとおり、印されていた。

(四) 聖二は、本件事故当日の午前〇時三〇分ころ、前記居酒屋「大和」に相当に酔つた状態で訪れて約三〇分間飲食し、その後、被害車を押しながら歩いて北方へ向かつたが、その約一時間後に再び被害車を押しながら歩いて南方に向かつていたのを右大和の経営者である訴外清水こと金瑟子が見かけている。その後、本件事故までの聖二の行動は不明であるが、聖二は、本件事故当時、被害車に乗つて、本件交差点北詰の横断歩道を東から西に進行していたところ、折から前記のとおり北方車線を北進中の加害車に衝突された。

なお、本件事故後に聖二を診察した大阪赤十字病院の鈴木陽一医師は、救急隊員から聖二が酒に酔つていたのではないかとの情報を得ていたが、聖二の呼気には酒気は感じられなかつたと報告している。

(五) 訴外池田徳龍こと鄭徳龍(以下、「池田」という。)は、本件交差点南詰の横断歩道の南端から三三・五メートル南側の南行車線の道路脇にある寿司店「江戸つ子寿司」の店員で、本件事故当時、同店内で寿司をにぎつていたが、本件事故による衝突音を聞いて直ちに店の前の歩道に出て本件交差点の方を見たところ(衝突音を聞いてから約三秒後)、別紙図面〈ウ〉の地点に聖二が転倒しているのと、北方第三車線上でブレーキランプを点灯して停止しかけている加害車を認めた。池田は、加害車がそのまま逃走するのではないかと直感し、南行車線を横断して本件事故現場の方に向かおうとしたが、右寿司店の前に出ていた同人の兄と姉に「車が走つてくるから危ない。」と後ろから声をかけられたので立ち止まつたところ、本件交差点北詰の横断歩道の約三〇メートル北側の南行車線を時速約六〇キロメートルで南進中の自動車を一台認めたため、これをやり過ごしたのち(右自動車は本件交差点を通過して南進した。)、南行車線を斜めに横断して本件交差点の南側の中央分離帯の北端まで行つたところ、加害車が加速しながら北に向かつて進行し、本件交差点の一つ先の中川二丁目交差点の赤色信号を無視して同交差点を通過し、逃走するのを認めた。また、同人は、加害車が右のとおり北進している間に、二台の自動車が本件道路の南行車線を南進し、本件交差点を通過するのも認めている。

(六) 訴外徳田武彦(以下、「徳田」という。)は、本件事故当時、前記居酒屋「大和」の北側を南北道路と交差して東に延びる通りを東に向かつて歩いていたが、南行車線の東側歩道の東端から約一五・五メートル東まで進んだところで本件事故による衝突音を聞いたので、直ちに小走りで引き返し、右居酒屋前の歩道の西端付近(衝突音を聞いた地点の西方約一九メートルの地点、なお、事故後に同人立会いのうえで行われた実況見分の際に事故時と同様の早さで引き返すのに要した時間を測定したところ、平均約八・五秒であつたから、同人が同地点まで引き返すのに要した時間は八ないし一〇秒程度であつたと推認される。)まで出てきたところ、一旦北行第三車線上で停止しかけた加害車が人が歩くのより少し速い位の速度で何かを避けるように左に進路を変えて北に進み、同人の前付近から急に速度を上げて北行第二車線を北進して逃走するのを認め、加害車の逃走後に前記のとおり聖二及び被害車が転倒しているのも認めた。また、徳田は、加害車が自分の前を通過したときに、本件交差点及び中川二丁目交差点を確認しているが、その時点では右両交差点の南北車両用信号はいずれも赤色であり、加害車が中川二丁目交差点の赤信号を無視して同交差点を通過したのも認めている。

(七) 本件交差点に設置された信号機の本件事故当時の信号周期は一周期一一〇秒であり、南北車両用信号は、青色五八秒、黄色三秒、赤色四九秒(但し、始めの三秒間は全赤の状態である。)の順に変わり、東西車両用信号は、赤色六七秒(但し、この赤色は南北車両用信号が青色になる三秒前に始まり、その三秒間は全赤の状態である。)、青が四〇秒、黄色が三秒の順に変わり、東西歩行者用信号機は、赤七三秒、青三〇秒、青点滅七秒の順に変わつていた。また、中川二丁目交差点の本件事故当時の信号機は、本件交差点の信号機と同一の一一〇秒の周期で連動しており南北車両用信号は、青色五七秒、黄色三秒、赤色五〇秒(但し、始めの七秒間は右折可の矢印が点灯し、その後の三秒間は全赤の状態である。)の順に変わつていたが、中川二丁目交差点の南北車両用信号は本件交差点の南北車両用信号よりも二秒先出しの関係にあつたので、中川二丁目交差点の南北車両用信号が赤色から青色に変わつた二秒後に本件交差点の南北車両用信号が赤色から青色に変わり、中川二丁目交差点の南北信号が青色から黄色に変わつた三秒後に本件交差点の南北車両用信号が青色から黄色に変わるようになつていた。

(八) 本件事故後の昭和六三年九月二八日午前五時二〇分から同時四〇分までの間に実施された本件事故現場の見通し状況に関する警察の見分の際には、被告は、本件交差点の南側停止線から六〇メートル南側の地点に佇立した場合でも交差点内を通行する自転車や歩行者を確認することができ(但し、中央分離帯上の前記金網フエンスのために上半身のみしか見ることができない。)、別紙図面〈1〉の地点に佇立した場合は、本件交差点の全体が視界に入つて交差点内を通行する男女の区別の確認もでき、また、別紙図面〈2〉の地点に佇立した場合は、遠くを見た状態でも本件交差点の北東角にある歩行者用信号付近までが視界に入り、交差点内を通行する男女の区別がはつきり確認できた。

なお、原告らは、本件交差点の赤信号を無視したのは被告であり、本件交差点の手前で青信号を確認した旨の被告の供述ないし指示(被告本人、乙一一、四七、五一ないし五四)は虚偽である旨主張するが、前認定のとおり、本件事故直後の目撃者である池田は、本件事故が発生した約三秒後に屋外に出て転倒した被害車及び聖二と停止しようとしている加害車を認めたが、加害車がそのまま逃走するのではないかと考えて、南行車線を横断しようとしたとき、同人の兄と姉に危ないと制止されて立ち止まつた際に、一台の自動車が本件交差点の北詰横断歩道から約三〇メートル北側の南行車線を時速約六〇キロメートルで南進中であり、その自動車が本件交差点を通過して同人の前を南に走行して行つたのを認めており、さらに、同人が南行車線を横断して中央分離帯まで辿り着いた後にも二台の自動車が南行車線を北から南に進行して本件交差点を通過するのを認めているのであつて、確かに同人は本件交差点の信号機までは確認していないのであるが、交通閑散な早朝であるとはいつても三台の自動車のいずれもが南北車両用信号の赤信号を無視して本件交差点を通過して行つたとまでは考え難いことに照らすと、少なくとも本件事故直後の本件交差点の南北車両用信号は青色であつたものと考えられる。もつとも、池田は、本件事故の約三秒後に本件事故現場の状況を確認したのであるから、事故直後に本件交差点の南北車両用信号が赤色から青色に変わつたという可能性も考えられるが、前認定のとおり、加害車は、聖二との衝突の際に急制動の措置を講じて本件交差点の北側の北行車線で停止しそうになり、その後徐行状態でしばらく北進したのち、速度を上げて中川二丁目交差点の車両用信号をそれが赤色であるにもかかわらず無視して北進しているところ、前認定の本件交差点と中川二丁目交差点の車両用信号の周期及び連動関係によれば、本件事故の直後に本件交差点の南北車両用信号が赤色から青色に変わつたとすれば、その時点では既に中川二丁目の南北車両用信号は青色になつており、右青色は本件交差点の南北車両用信号が青色に変わつてからでも五五秒間続くことになるのであるから、本件交差点と中川二丁目交差点の距離が前認定のとおり一四一・八メートルあり、加害車が事故直後しばらく低速度で進行していたことを考慮にいれても、加害車は中川二丁目交差点の南北車両用信号が青色の間に同交差点を通過しているはずであつて、前認定のとおり同交差点を赤色で通過したということは、右想定と矛盾することになるうえ、前認定のとおり、本件交差点の北詰横断歩道の北端から約七四・二メートル北側の南行車線の道路脇に佇立していた徳田は、加害車が同人の目前を通過していつた時点で既に中川二丁目交差点の南北車両用信号が赤色であつたことを認めているのであるから、前記可能性は否定される。

また、前認定のとおり、徳田は、本件事故直後に加害車が一旦停止しかけたものの、人が歩く速さよりやや速い程度の低速度で同人の前付近まで進行してきたときに中川二丁目交差点の南北車両用信号が赤色であつたことを確認しているが、前認定の本件交差点と中川二丁目交差点の車両用信号の周期及び連動関係によれば、中川二丁目交差点の南北車両用信号は本件交差点の南北車両用信号より一秒早く黄色に変わり、三秒後に赤色に変わる(但し、始めの七秒間には右折可の矢印が出る。)ことになるところ、前認定の事実によれば、徳田は本件事故の衝突音を聞いてから八秒ないし一〇秒経過してから右確認をしたものと認められるから、徳田が確認した右事実と加害車が本件交差点の南北道路の車両用信号を青色で通過したこととの間には矛盾するところはなく、乙二七ないし二九により認められるその他の目撃者の事故直後の目撃状況と加害車が本件交差点の南北車両用信号を青色で通過したこととの間にも矛盾するところはない。

そして、以上の事情に被告が本件事故の刑事事件としての捜査の段階から一貫して、本件事故当時、本件交差点の南北車両用信号は青色であつたと供述していることをも考え合わせると、本件事故当時、本件交差点の南北車両用信号が青色であつたと認められるのであつて、右認定に反する甲一八、一九は採用することはできず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2  以上認定の各事実によれば、本件事故は、被告が呼気一リツトル当たり〇・三ミリグラムのアルコールを保有する酒気帯び状態で加害車を運転し、本件交差点の手前約三九・九メートルの地点で対面信号が青色であると認めたのと、早朝で交通閑散であつたことに気を許し(飲酒の影響も相当程度あつたものと考えられる。)助手席に同乗していた加代子の方に向いて雑談をして前方注視を怠つたまま本件交差点内に進入した過失(なお、原告らは、被告が衝突時にハンドルを右に切つたことはハンドル操作不適当の過失に当たると主張するが、前認定の加害車の車輪によつて路面に印されたスリツプ痕によれば、加害車は衝突後に右方向に進行したものであり、加えて被告が聖二に気付いて急制動の措置を講じた地点から衝突地点まで約九・一メートルしかない本件においては、ハンドル操作を適当にしていれば避け得た事故とも考え難いので、原告らの右主張は採用できない。)によつて発生したものというべきであるが、他方、原告にも歩行者、軽車両等の通行の少ない早朝時に幹線道路を赤信号を無視して横断した過失があつたというべきであるから、損害賠償額を定めるに当たつては右過失を斟酌すべきであるところ、前認定の本件事故の態様、被告の過失の内容及び程度を考え合わせると、前認定の損害額から七〇パーセントを減ずるのが相当である。

三  損害の填補

前記のとおり、原告らは、本件事故による損害の填補として、自動車損害賠償責任保険及び被告から合計二五三〇万〇八〇七円を受領し、これを原告らが法定相続分に従つて配分していること(原告よね子につき一二六五万〇四〇三円、原告和美及び原告猛につき各六三二万五二〇一円となる。)は当事者間に争いがないから、前記過失相殺後の原告らの損害賠償請求権(原告よね子につき六一三万六二六七円、原告和美及び原告猛につき各二九一万八一三三円となる。)に充当すると、被告が賠償すべき損害額は、すべて填補済みであり、原告らが被告に対して請求し得る残額は存在しないことになる。

四  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、結果等に照らすと、原告らに本件事故に基づく損害としての弁護士費用を認めることはできない。

第四結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 松井英隆 永谷典雄)

別紙 〈省略〉

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